豊田空間デザイン室

日々のこと
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『旅する巨人』-2

updated: 2008年9月20日

 「日本文化の形成」から、、
 宮本は高床式住居は稲作文化とも深い関わりをもっていて、米は収穫した直後には、その生命が失われてしまうという信仰が見られた、、 米を高床式という神聖な場所に納めたのは、高所において神威を保ち、魂を再生させると考えたからであろう、、と言う。
 また、漁家や「海の民」について、考察しているが、その話は長くなるので、改めて、、

 興味深いのは、弥生文化=定住型という見方は違うという点、。「農民」すら、定着の民とは言えないと論じている。登呂遺跡に関して「私たちの祖先は、けっして一つの所に長い間、平和に住み着いてきたものではないと思われる」と述べる。
 伝統的な知恵や価値観を持ちながらも、移動し、新しい環境や人びとの間で、常に伝統を組み替えて生きていくことこそ人間であると、宮本は言いたいではないかと、、とのことだ。
宮本が実際に歩いて見て、聞いて、さらに「古事記」「日本書紀」をはじめ、郷土の様々な資料を読んでの文書は、深く文化や人間を見る目で考察されている。     私の「建築ノート」のブログでは、日本の民家についても書いているが、そこまでの視点から考察するのはまだまだ、と思っている。